今回は山口県出身の歴史上の人物をご紹介します。
今回は、政治家や思想家、文化人といった複数のジャンルから選びました。
伊藤博文
伊藤博文は日本の初代内閣府総理大臣です。
元々は貧しい農民の出身で、松下村塾に入門しますが、身分が低かった
ため吉田松陰の講義を塾外で立ち聞きしていたそうです。
その後海外に留学し、海外の文化や言語を学び日本の国際化に尽力しました。
また、1888年、これまで毒魚とされてきた「ふぐ」を食し、それが美味しかったことから現在のふぐの食用・商用が広まるきっかけになりました。
井上馨
井上薫は山口市出身の日本の政治家・実業家です。
伊藤博文の盟友でもあり、彼は伊藤博文の英語力をアピールし、初代内閣総理大臣に強く推薦しました。
政治界では閣僚を歴任したりと手腕をふるい、日本で初めて欧米風の国賓の迎賓館「鹿鳴館」の建設を推進しました。実業界では現在の三井物産の前身となる会社を設立するなどして活躍しました。海外にも積極的に外遊し、日本の外交化に貢献しました。
人物像は、理財の才を持った人であり、その才能は周りから一目置かれるほどでした。
吉田松陰
吉田松陰は萩市出身の武士・思想家・教育者です。
1857年に叔父が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ、萩市に松下村塾を建てました。ここでは伊藤博文や高杉晋作、山縣有朋といった歴史に名を残す人々が通っていました。吉田松陰は彼らに思想的に大きな影響を与えたと言われています。
この学び舎の授業は、講師が一方的に生徒に知識を教えるのではなく、講師と生徒が意見を交わし合うという形をとっていました。また、講師と生徒が一緒に水泳をしたり登山を楽しんだ事から、「生きた学問」と呼ばれました。
吉田松陰ゆかりの地である萩市には吉田松陰や彼の生徒である伊藤博文など、松下村塾の生徒を祭神とする松陰神社があり、境内には当時の塾舎が現存しています。
松下村塾は今も多くの観光客が訪れる人気の観光スポットになっています。
高杉晋作
高杉晋作は萩市出身の長州藩の藩士です。
長州藩士の子供として生まれ、13歳で藩校である明倫館に入学した後、松下村塾で勉学に励みました。同窓生である久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一と共にその秀才ぶりから「松下村塾四天王」と呼ばれました。
その後、尊王攘夷運動を推進しました。
また、藩内の百姓や町人といった人々も含めた階級差別の無い軍隊「奇兵隊」を組織し、総監となったことも有名です。
27歳の若さで病死しますが、駆け抜けるようにように生きたその生涯は人々の印象に強く残っています。
「おもしろきこともなき世をおもしろく」という高杉晋作の辞世の歌には、彼の人柄が現れています。
金子 みすゞ
金子 みすゞは、長門市出身の大正末期から昭和初期にかけて活動した童謡詩人です。
代表作に「私と小鳥と鈴と」や「大漁」があります。彼女の詩には自然の中の小さな命や、他の人が気づかないようなものに目を向ける発想力と優しさがあります。
若くしてこの世を去りましたが、短い生涯の間に500余編もの詩を綴ったとされています。
長門市には彼女が幼少期を過ごした書店金子文英堂跡地に「金子みすゞ記念館」が建てられています。金子みすゞの遺稿集や着物などを展示しており、彼女の生涯や生きた時代を学ぶ事ができます。
松田優作
松田優作は下関市出身の俳優・歌手です。
身長180cmと大柄であり、ニヒルな雰囲気が印象的な個性派俳優として活躍しました。
TV刑事ドラマ「太陽にほえろ!」に“ジーパン刑事”というあだ名でレギュラー出演し、人気になりました。
その後、映画にも出演し「人間の証明」で自分の過去と葛藤する刑事役を、「家族ゲーム」では一癖も二癖もある家庭教師役、といったバラエティ豊かな役をこなしていきます。演技へのこだわりを貫く姿勢から演技派の俳優と評価されました。
また、TVドラマ「探偵物語」は松田優作の中期の代表作と言われており、放送終了後も何度も再放送されました。
1989年に40歳の若さで病死しましたが、今でもそのカリスマ性に魅せられ新たなファンが増えています。
以上、山口県の歴史上の人物を紹介しました。
山口県にはここで紹介しきれなかった著名人がまだまだたくさん存在します。
著名人の特徴としては、山口県からはこれまで8人の内閣総理大臣が出ており、これは全国で最多となっています。
また、その人物の時代背景を知る事で、山口県の事をもっと知りたい!と思うようになるかもしれません。ぜひそうなっていただきたいな、と思います。